『お疲れの出ませんように』とは、このこと・・・
義父が先週、85歳の生涯をとじました。
ガンの告知を受けて、わずか1か月でした。
淡路島の医療センターから、羽曳野市の緩和ケア病棟(ホスピス)に移り、苦しむことなく手厚い看護のなか、おだやかに最期を迎えました。
私の父もガンで亡くなりましたが、終末期の迎え方は別の道でした。
苦しみや痛みを感じさせず、やりたいことをやり、好きなものを食べ、電話やパソコンも自由な「緩和ケア」。
最後まで尊厳をもった、終末の迎え方を教えられました。
淡路島と大阪の往復で妻も義母もフラフラになりました。
お葬式の前日に、義母が倒れ救急車で運ばれ、葬儀の夜にもダウンしました。
葬儀に出席するため早朝から徳島から駆けつけてくれた叔母夫婦は、淡路島に到着するなり具合が悪くなり、そのままタクシーで帰ってもらいました。
そういえばお葬式で倒れる人も何度も見たことがあります。
「お疲れの出ませんように」
の声をかけたり、いただいたりしましたが、その通りでした。
長年連れ添った夫の死や、葬儀の段取り、あいさつまわり、家の片づけ、娘との同居などきりがありません。
疲れのピークが連日続きます。
「お疲れの出ませんように」
まさにこの言葉どおりです。
ご心配いただいた皆さん、ありがとうございました。
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