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ベトナムのバオ君、さようなら!

3年前に知り合いになった、ベトナム人のバオ君。

来週母国に帰国することになり、昨日お別れ会をやりました。

B1

富田林の企業団地に出稼ぎにきていた、26歳の青年です。

郵便局の窓口で局員さんに何やらお願いしようとしても、話が通じず帰ろうとしていたのが、ベトナム人のバオ君でした。

そのアジア青年に事情をたずねようとしましたが、日本語も英語もほとんど通じません。

そこに妻の先輩のHさんが通りがかり合流。

やっぱり何をしたいのか、意味不明。

「辞書は持ってるの?」

の身振り手振りに、

「イエニ、アル」

とのこと。

車に彼を乗せて、川面町の宿舎までベトナム日本語辞書をとりにいき、意味判明。

国内の友人に、現金書留で送金したいのです。

日本に来て3ヶ月目のチャレンジでした。

もう一度郵便局に出直して、一緒に手続きをしました。

これがおつきあいの始まりでした。

3年の間に日本語もすっかり上手になっています。

昨日このときの話しをしていると、

「あのときの親切は一生忘れません」

「でも、悪い人かもしれないし、怖かった」

と言ってます。

今では笑い話です。

ベトナムといえば、私にとっては高校生の頃から沖縄返還問題とならんで、特別の思いがあります。

彼に、日本での私たちのベトナム反戦運動の話しをしても、ピンと来ないようです。

1975年のサイゴン陥落は、彼の誕生10年前です。

ホーチミン市(旧サイゴン市)南に実家があるそうです。

未来のベトナムのため、頑張って下さい!

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